『忘れられた日本』―この題名を見て、もしかしたら多くの方がブルーノ・タウトの日本批判を思い浮かべるかもしれない。
何故なら、彼は日本の美を再発見した人物であると同時に、急速に近代化・欧米化する日本に対し警鐘を鳴らした事でも知られるからである。
然しながら、本書は決して日本に対して冷ややかな眼差しを向けたものではなく、タウトが僅か三年の日本滞在の間に見聞し、実感し、そして考察した数多くの貴重な体験談に満ち溢れたものであった。
“タウトが見た日本”を肌で感じる事が出来る一冊…それが本書である。
本書は「日本美の開顕」「日本文化の形相」「日本の四季」「奈良」の四部構成である。
桂離宮や伊勢神宮、若しくは農家等の日本建築に焦点を絞った解説、或いは禅や祭礼を通して日本人の精神を追求した小論、更には、タウトが見出した日本の自然観について語ったエッセイ等が各章毎に纏められており、実にバランス良く編集されていたように思う。
尚、残念ながら紀行文は掲載されていないが、最終章の「奈良」では、タウトが彼の地を訪ねた事に依って如何なる収穫を得たのかが詳述されているので、本稿を読めば誰しも感慨深い気持ちにさせられるであろう。
因みに、取り分け興味深かったのが第二章に含まれる「“いかもの”と“いんちき”」「“げてもの”か“ハイカラ”か」と題されたエッセイである。
タウトの「いかもの嫌い」は既にお馴染みであり、彼は至る所で“いかもの”を見つけては嫌悪する。
そして、本書では“いかもの”(Kitsch)と“いんちき”(Tinneff)の根本的な違いに始まり、何故彼がこんなにも“いかもの”を憎むのかを力説した上で、この指摘は“げてもの”と“ハイカラ”まで続くのだ。
だが、ここで語られているのは、決して単なる批判や非難には留まらず、何故、いかものが悪いのかー即ちそれが、美の本質を歪めるものだからであるという最大の理由を教えてくれるので、面白い…どころか意義深さすら感じた次第である。
尚、私自身もそうであったが、タウトの著作を既にお読みになっている方にとっては内容の重複が多くあると思うので、その点だけは留意して頂きたいと思う。
だが、その一方で、タウトに初めて触れるという方には先ずは本書をお勧めしたい。
何故なら、手軽なこの一冊の文庫本で“建築家・タウト”に依る日本建築の分析、日本の生活や文化、“美と醜”の概念、恵まれた日本の四季等など、実に様々な事が読み取れるからである。
タウトが見つけた日本美をコンパクトに纏めた一冊として、幅広くお勧めしたいと思う。
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忘れられた日本 (中公文庫 タ 6-1) 文庫 – 2007/6/1
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- ISBN-10412204877X
- ISBN-13978-4122048775
- 出版社中央公論新社
- 発売日2007/6/1
- 言語日本語
- 本の長さ229ページ
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2007/6/1)
- 発売日 : 2007/6/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 229ページ
- ISBN-10 : 412204877X
- ISBN-13 : 978-4122048775
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4 星
日光廟 VS 伊勢神宮・桂離宮
ドイツの建築家:ブルーノ・タウトが1933年から約3年間に渡り日本に滞在した際の日本文化体験記「忘れられた日本」。その3年間は建築創作活動より執筆活動に勤しんでおり、日本独自の文化の詳細にわたり、体験に基づく記述がなされているのは興味深い。 その内容は単純すぎて(明確な二元論で)非常に分かりやすい。豪華絢爛な日光廟を否定し、質素倹約な伊勢神宮、桂離宮を絶賛する。伊勢神宮をアテネのアクロポリスに匹敵する名作と捉え「建築の聖祠」と称し、その精神に基づいて桂離宮を手がけた小堀遠州(この事実関係については定かではない)に日本建築の真髄を見る。桂離宮を評し「1個の生物の如く、個々の部分の完全な自由と独立」と述べ、その「関係の様式−いわば建築せられた相互関係」に本質を見ている点は興味深い。 事実かどうかは怪しいが、小堀遠州が桂離宮の造営に際して提示した三条件はなかなか興味深い。今では考えられない条件だが・・・ 1.建築主は竣工以前に来て見てはならない 2.竣工の期日を定めてはならない 3.工費に制限を加えてはならない 他にも、修学院離宮、醍醐寺三宝院、西本願寺、金閣寺、法隆寺、春日大社などを高く評価し、民家を日本精神の体現として捉える。逆に銀閣寺に対する評価が低いのは誠に残念。 さらに話題は文化全般にまで及ぶ。文化の本質を「生活のあらゆる現象が相集まって1つの調和ある全体を構成する」ことにあるとし、「芸術及び生活において簡素を求める傾向は、日本文化を貫く特性である」とする。さらに、「いかもの」と「いんちき」、「げてもの」と「ハイカラ」などの鍵語を対比させながら議論を展開していく。そして、「げてもの」→「いかもの」に、「ハイカラ」→「いんちき」に陥ることを懸念する。 いかもの/日本語=キッチュ(Kitsh)/ドイツ語 :芸術たることを欲しながら、遂に芸術たりえない「芸術」、例えば日光廟 いんちき/日本語=ティンネフ(Tinneff)/ドイツ語 :安っぽい間に合わせのもので本物と同じ効果を挙げようとするごまかし げてもの:民芸、手工の巧緻、旧い作品 ハイカラ:現代主義、旧いものの誤解せられた模倣、現代の生活 また、タウトは日本独特の家相を迷信として批判的に捉えており、世界諸国の北部地方の家屋はその形式をもっぱら冬に順応させているのに対して、日本家屋はこれとは全く反対に夏向きにつくられていることなども驚きを持って指摘している。 全般的に極端な二元論が気になるが、日本の伝統にかつての「ドイツ工作連盟」活動に通ずるものを見出したのであろう。
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2018年12月8日に日本でレビュー済み
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少し言葉遣いが古く読みにくいですが、多々感じるものがあります。
2013年3月27日に日本でレビュー済み
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1933年から3年間日本に滞在した著者の日本見聞録。ドイツで実績のある建築家の著者はナチスの迫害を避けて来日。翻訳の素晴らしさもあるが、日本建築を中心に日本文化が日本の気候風土の中で練り上げられているという主張が素直に語られる。戦前の仙台や高崎での生活は著者にとっては苦労の連続だったと想像されるが、そうした話は全くなく、当時の日本の貧しさがその最大の要因であろう日本人の簡素な装い、住まい方に対して少しの軽侮も見せず、風土に適応した生活法であるという。
桂離宮と伊勢神宮外宮を日本建築の最高傑作とし、日光東照宮を”いかもの”と切り捨てる。簡潔な結構の中に細やかな感情を込める日本的表現を高く評価し、日本人の洋装や西洋的建築を”げてもの”とし、「忘れられた日本」を嘆く。時代的古さを感じさせない点がすごい。
桂離宮と伊勢神宮外宮を日本建築の最高傑作とし、日光東照宮を”いかもの”と切り捨てる。簡潔な結構の中に細やかな感情を込める日本的表現を高く評価し、日本人の洋装や西洋的建築を”げてもの”とし、「忘れられた日本」を嘆く。時代的古さを感じさせない点がすごい。
2018年5月14日に日本でレビュー済み
ブルーノ・タウトの日本文化論。
タウトと言うと、桂離宮と伊勢神宮を高く評価した人物として知られ、その面だけが強調することが多いが、ここではそれ以外の日本への関心が論じられている。
建築家の視点から見た日本の農家の分析がユニークだ。
ヨーロッパの農家の家との意外な共通点に驚いたり、湿気の多い日本の独自性を分析したりと、多角的な視点で、日本の農家を論考している。
他に、日本の神道や、禅の日本文化への影響なども論じられている。
タウトと言うと、桂離宮と伊勢神宮を高く評価した人物として知られ、その面だけが強調することが多いが、ここではそれ以外の日本への関心が論じられている。
建築家の視点から見た日本の農家の分析がユニークだ。
ヨーロッパの農家の家との意外な共通点に驚いたり、湿気の多い日本の独自性を分析したりと、多角的な視点で、日本の農家を論考している。
他に、日本の神道や、禅の日本文化への影響なども論じられている。
2008年3月28日に日本でレビュー済み
ドイツの建築家:ブルーノ・タウトが1933年から約3年間に渡り日本に滞在した際の日本文化体験記「忘れられた日本」。その3年間は建築創作活動より執筆活動に勤しんでおり、日本独自の文化の詳細にわたり、体験に基づく記述がなされているのは興味深い。
その内容は単純すぎて(明確な二元論で)非常に分かりやすい。豪華絢爛な日光廟を否定し、質素倹約な伊勢神宮、桂離宮を絶賛する。伊勢神宮をアテネのアクロポリスに匹敵する名作と捉え「建築の聖祠」と称し、その精神に基づいて桂離宮を手がけた小堀遠州(この事実関係については定かではない)に日本建築の真髄を見る。桂離宮を評し「1個の生物の如く、個々の部分の完全な自由と独立」と述べ、その「関係の様式−いわば建築せられた相互関係」に本質を見ている点は興味深い。
事実かどうかは怪しいが、小堀遠州が桂離宮の造営に際して提示した三条件はなかなか興味深い。今では考えられない条件だが・・・
1.建築主は竣工以前に来て見てはならない
2.竣工の期日を定めてはならない
3.工費に制限を加えてはならない
他にも、修学院離宮、醍醐寺三宝院、西本願寺、金閣寺、法隆寺、春日大社などを高く評価し、民家を日本精神の体現として捉える。逆に銀閣寺に対する評価が低いのは誠に残念。
さらに話題は文化全般にまで及ぶ。文化の本質を「生活のあらゆる現象が相集まって1つの調和ある全体を構成する」ことにあるとし、「芸術及び生活において簡素を求める傾向は、日本文化を貫く特性である」とする。さらに、「いかもの」と「いんちき」、「げてもの」と「ハイカラ」などの鍵語を対比させながら議論を展開していく。そして、「げてもの」→「いかもの」に、「ハイカラ」→「いんちき」に陥ることを懸念する。
いかもの/日本語=キッチュ(Kitsh)/ドイツ語
:芸術たることを欲しながら、遂に芸術たりえない「芸術」、例えば日光廟
いんちき/日本語=ティンネフ(Tinneff)/ドイツ語
:安っぽい間に合わせのもので本物と同じ効果を挙げようとするごまかし
げてもの:民芸、手工の巧緻、旧い作品
ハイカラ:現代主義、旧いものの誤解せられた模倣、現代の生活
また、タウトは日本独特の家相を迷信として批判的に捉えており、世界諸国の北部地方の家屋はその形式をもっぱら冬に順応させているのに対して、日本家屋はこれとは全く反対に夏向きにつくられていることなども驚きを持って指摘している。
全般的に極端な二元論が気になるが、日本の伝統にかつての「ドイツ工作連盟」活動に通ずるものを見出したのであろう。
その内容は単純すぎて(明確な二元論で)非常に分かりやすい。豪華絢爛な日光廟を否定し、質素倹約な伊勢神宮、桂離宮を絶賛する。伊勢神宮をアテネのアクロポリスに匹敵する名作と捉え「建築の聖祠」と称し、その精神に基づいて桂離宮を手がけた小堀遠州(この事実関係については定かではない)に日本建築の真髄を見る。桂離宮を評し「1個の生物の如く、個々の部分の完全な自由と独立」と述べ、その「関係の様式−いわば建築せられた相互関係」に本質を見ている点は興味深い。
事実かどうかは怪しいが、小堀遠州が桂離宮の造営に際して提示した三条件はなかなか興味深い。今では考えられない条件だが・・・
1.建築主は竣工以前に来て見てはならない
2.竣工の期日を定めてはならない
3.工費に制限を加えてはならない
他にも、修学院離宮、醍醐寺三宝院、西本願寺、金閣寺、法隆寺、春日大社などを高く評価し、民家を日本精神の体現として捉える。逆に銀閣寺に対する評価が低いのは誠に残念。
さらに話題は文化全般にまで及ぶ。文化の本質を「生活のあらゆる現象が相集まって1つの調和ある全体を構成する」ことにあるとし、「芸術及び生活において簡素を求める傾向は、日本文化を貫く特性である」とする。さらに、「いかもの」と「いんちき」、「げてもの」と「ハイカラ」などの鍵語を対比させながら議論を展開していく。そして、「げてもの」→「いかもの」に、「ハイカラ」→「いんちき」に陥ることを懸念する。
いかもの/日本語=キッチュ(Kitsh)/ドイツ語
:芸術たることを欲しながら、遂に芸術たりえない「芸術」、例えば日光廟
いんちき/日本語=ティンネフ(Tinneff)/ドイツ語
:安っぽい間に合わせのもので本物と同じ効果を挙げようとするごまかし
げてもの:民芸、手工の巧緻、旧い作品
ハイカラ:現代主義、旧いものの誤解せられた模倣、現代の生活
また、タウトは日本独特の家相を迷信として批判的に捉えており、世界諸国の北部地方の家屋はその形式をもっぱら冬に順応させているのに対して、日本家屋はこれとは全く反対に夏向きにつくられていることなども驚きを持って指摘している。
全般的に極端な二元論が気になるが、日本の伝統にかつての「ドイツ工作連盟」活動に通ずるものを見出したのであろう。
ドイツの建築家:ブルーノ・タウトが1933年から約3年間に渡り日本に滞在した際の日本文化体験記「忘れられた日本」。その3年間は建築創作活動より執筆活動に勤しんでおり、日本独自の文化の詳細にわたり、体験に基づく記述がなされているのは興味深い。
その内容は単純すぎて(明確な二元論で)非常に分かりやすい。豪華絢爛な日光廟を否定し、質素倹約な伊勢神宮、桂離宮を絶賛する。伊勢神宮をアテネのアクロポリスに匹敵する名作と捉え「建築の聖祠」と称し、その精神に基づいて桂離宮を手がけた小堀遠州(この事実関係については定かではない)に日本建築の真髄を見る。桂離宮を評し「1個の生物の如く、個々の部分の完全な自由と独立」と述べ、その「関係の様式−いわば建築せられた相互関係」に本質を見ている点は興味深い。
事実かどうかは怪しいが、小堀遠州が桂離宮の造営に際して提示した三条件はなかなか興味深い。今では考えられない条件だが・・・
1.建築主は竣工以前に来て見てはならない
2.竣工の期日を定めてはならない
3.工費に制限を加えてはならない
他にも、修学院離宮、醍醐寺三宝院、西本願寺、金閣寺、法隆寺、春日大社などを高く評価し、民家を日本精神の体現として捉える。逆に銀閣寺に対する評価が低いのは誠に残念。
さらに話題は文化全般にまで及ぶ。文化の本質を「生活のあらゆる現象が相集まって1つの調和ある全体を構成する」ことにあるとし、「芸術及び生活において簡素を求める傾向は、日本文化を貫く特性である」とする。さらに、「いかもの」と「いんちき」、「げてもの」と「ハイカラ」などの鍵語を対比させながら議論を展開していく。そして、「げてもの」→「いかもの」に、「ハイカラ」→「いんちき」に陥ることを懸念する。
いかもの/日本語=キッチュ(Kitsh)/ドイツ語
:芸術たることを欲しながら、遂に芸術たりえない「芸術」、例えば日光廟
いんちき/日本語=ティンネフ(Tinneff)/ドイツ語
:安っぽい間に合わせのもので本物と同じ効果を挙げようとするごまかし
げてもの:民芸、手工の巧緻、旧い作品
ハイカラ:現代主義、旧いものの誤解せられた模倣、現代の生活
また、タウトは日本独特の家相を迷信として批判的に捉えており、世界諸国の北部地方の家屋はその形式をもっぱら冬に順応させているのに対して、日本家屋はこれとは全く反対に夏向きにつくられていることなども驚きを持って指摘している。
全般的に極端な二元論が気になるが、日本の伝統にかつての「ドイツ工作連盟」活動に通ずるものを見出したのであろう。
その内容は単純すぎて(明確な二元論で)非常に分かりやすい。豪華絢爛な日光廟を否定し、質素倹約な伊勢神宮、桂離宮を絶賛する。伊勢神宮をアテネのアクロポリスに匹敵する名作と捉え「建築の聖祠」と称し、その精神に基づいて桂離宮を手がけた小堀遠州(この事実関係については定かではない)に日本建築の真髄を見る。桂離宮を評し「1個の生物の如く、個々の部分の完全な自由と独立」と述べ、その「関係の様式−いわば建築せられた相互関係」に本質を見ている点は興味深い。
事実かどうかは怪しいが、小堀遠州が桂離宮の造営に際して提示した三条件はなかなか興味深い。今では考えられない条件だが・・・
1.建築主は竣工以前に来て見てはならない
2.竣工の期日を定めてはならない
3.工費に制限を加えてはならない
他にも、修学院離宮、醍醐寺三宝院、西本願寺、金閣寺、法隆寺、春日大社などを高く評価し、民家を日本精神の体現として捉える。逆に銀閣寺に対する評価が低いのは誠に残念。
さらに話題は文化全般にまで及ぶ。文化の本質を「生活のあらゆる現象が相集まって1つの調和ある全体を構成する」ことにあるとし、「芸術及び生活において簡素を求める傾向は、日本文化を貫く特性である」とする。さらに、「いかもの」と「いんちき」、「げてもの」と「ハイカラ」などの鍵語を対比させながら議論を展開していく。そして、「げてもの」→「いかもの」に、「ハイカラ」→「いんちき」に陥ることを懸念する。
いかもの/日本語=キッチュ(Kitsh)/ドイツ語
:芸術たることを欲しながら、遂に芸術たりえない「芸術」、例えば日光廟
いんちき/日本語=ティンネフ(Tinneff)/ドイツ語
:安っぽい間に合わせのもので本物と同じ効果を挙げようとするごまかし
げてもの:民芸、手工の巧緻、旧い作品
ハイカラ:現代主義、旧いものの誤解せられた模倣、現代の生活
また、タウトは日本独特の家相を迷信として批判的に捉えており、世界諸国の北部地方の家屋はその形式をもっぱら冬に順応させているのに対して、日本家屋はこれとは全く反対に夏向きにつくられていることなども驚きを持って指摘している。
全般的に極端な二元論が気になるが、日本の伝統にかつての「ドイツ工作連盟」活動に通ずるものを見出したのであろう。
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2021年5月10日に日本でレビュー済み
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建築に関する著者の論説は、建築の具体論から説き始められるものばかりであり、その内容の当否および読者に対する説得力は、建築という具体物の存在あってのものになります。試みに、タウト論を否定しようとするのならば、該当の対象に異なる知見を立てざるを得ません。それは、かなり論者に力量を求めるものとなります。
才人の身にまとった教育の根拠が、歴史あるクナイプホーフ・ギムナジウム、シュトゥットガルト工科大学教授テオドール・フィッシャーなどにどのように由来するのかは、当方には不明です。しかし、詩的理想主義、ユートピア主義など、本人の素質を強くあおるなにものかがあったことは推測できます。こちらは、伝記などの研究書に答えを求めたいところです。
トルコに客死するまで、文字通り世界をかけまわります。
「日本の農家」「単純のなかの豊富」などの項には、それこそ、欧州のアナール学派のような歴史想起の営みを感じます。日本に関する文献を相当数読んでいます。語学力の存在があるのでしょう。
まことにあとにもさきにもない暖かなまなざしによる日本論集となりました。
才人の身にまとった教育の根拠が、歴史あるクナイプホーフ・ギムナジウム、シュトゥットガルト工科大学教授テオドール・フィッシャーなどにどのように由来するのかは、当方には不明です。しかし、詩的理想主義、ユートピア主義など、本人の素質を強くあおるなにものかがあったことは推測できます。こちらは、伝記などの研究書に答えを求めたいところです。
トルコに客死するまで、文字通り世界をかけまわります。
「日本の農家」「単純のなかの豊富」などの項には、それこそ、欧州のアナール学派のような歴史想起の営みを感じます。日本に関する文献を相当数読んでいます。語学力の存在があるのでしょう。
まことにあとにもさきにもない暖かなまなざしによる日本論集となりました。